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2020年10月01日

「僕の目に、まだ水がたまっているよ」
登園の時に、親と別れて大泣きした後、
しばらく園庭で過ごし気持ちが落ち着いてから
テラスで靴を脱ぎだした2歳児に、
「自分でこれたね。さぁお部屋に行こうか」と
声をかけたところ返ってきた言葉です。
 
新型コロナ感染症予防の一環として
玄関や園庭で「行ってきます」と離れるようになって
半年が経とうとしています。
担任ではない事務職が受け入れ担当となり、
テラスにはできるだけ担任が迎えに来るようにして、
気持ちに折り合いを付けて各お部屋に向かっていくようになったので、
部屋での姿は日常通り。
クラスの部屋の中で迎えていた時は、
担任が抱っこして受け入れ、
遊んでいるお友達もいたので気持ちがごまかされていたけれど、
今年は、気持ちを切り替える時間や方法を子どもなりに獲得しています。

当然、日によって子どもの気持ちも姿も違いますし、
ほとんどの場合理由があるのです。
「眠たい」「朝怒られた」
「パン全部食べられんかった」
「テレビを途中で切られた」
「どうやらお母さんは、おうちにいるみたいだ」
「ともだちがあそんでくれん」
言葉を使って話せる子は、何かしら理由を伝えてくれるけれど、
一番の理由は、
親と離れて「悲しいよ」「さみしいよ」「なんで一緒にいられないの?」「お仕事ってなに?」
誰もが思っているのではないでしょうか。

子どもの気持ちが部屋に向くまでの間、
お付き合いをするようになって沢山のことに気が付かされました。
そして、理解していたつもりでした。
しかし、泣き止んで部屋に行こうと気持ちが向いていると思っていた子から、
「僕の目にまだ水がたまっているよ」といわれて胸が締め付けられました。

なぜ私は「がんばっているね」「よく我慢しているね」って言えなかったんだろうと・・・。
そうです。
平気そうに手を振って親と別れてスタスタと自分のクラスに歩いていっていたはずの子が、
親の車が見えなくなるまで必ず見送っている事。
テラスに座ってしばらく考えている子。
お友達が登園してきたらやっと靴を脱ぎだす子。
沢山身近に見ていたはずなのに・・・
泣いて気持ちを出せる子もいるけれど、
ほとんどの子どもが気持ちに折り合いをつけられるようになっただけ。
「必ず、迎えに来てくれる」という見通しが持てるようになっているからです。

親と離れて平気な子は一人もいない。
子どもは「頑張っている」「自分で考えて決めている」

親と離れる時に「泣く」事は、当たり前の事。
泣いていてもいいじゃないか!
少しずつ子どもも成長しながら考えているし、
何かしら折り合いをつけようとしているのだと感じます。
そして、折り合いをつける方法は、みんな違って良いのです!

子育てに正解は、ありません。
本のとおりにもいきません。
誰かがうまくいっても自分には当てはまらないことがほとんどです。

あくまでも他人からの情報は「私もやってみよう」というきっかけにすぎません。
その時その時試行錯誤している事、
その時その時一生懸命向き合ったことが、
きっと何らかの家族の記憶になっていると思えます。

だからこそ“共育ち”で良いと思えます。
気が付かされた時に、しっかりと胸に刻んでおこうと思います。
親のようにはなれないけれど私たちは寄り添うことができます。
彼らが大きくなった時、
せめて「寂しかったけど○○があったから何とか乗り越えられた」
「○○は、楽しかったなぁ」と、
少しでも子どもやご家族の記憶に残る日々の繰り返しを続けられるよう
過ごしたいと思います。